『縄文人と「弥生人」古人骨の事件簿』E・・・新方遺跡の人骨(まとめ2)
2009-04-24


新方遺跡の人骨が意味することについて、”想像をたくましくして”考察してみたいと思います。
矛盾するようですが、できるだけ客観的に見る為に、相反する二つの視点から考えてみます。
それは、大量渡来説を肯定する視点と、否定する視点です。

まずは、それぞれの説の大まかな定義をした上で、どのように解釈するのかを考えてみます。

【大量渡来説】
縄文時代晩期から弥生時代にかけて、何度にもわたる大量の渡来人により、土着の縄文人と入れ替わるようにして、渡来系弥生人が日本列島の広い範囲に行き渡った。
縄文人と、弥生人(主に弥生時代後期以降)の人骨の特徴の違いは、後者が渡来人の影響に拠るものと考える。

新方遺跡の人骨は、縄文人の子孫であり、その数を減らしつつあった。
遺骨から見つかった石鏃は、死因となったものであり、渡来系弥生人による殺害の可能性が考えられる。
うつ伏せの埋葬は、その遺体が丁重に埋葬されたのではないことを示唆しており、殺害後、乱暴に埋葬されたと考える。

【縄文人変容説】
縄文時代から弥生時代にかけて、少数の渡来人による影響はあったが、基本的には土着の縄文人が、弥生人へと徐々に変容した。
縄文人と、弥生人(主に弥生時代後期以降)の人骨の特徴の違いは、生活習慣の変化に拠るところが大きいと考える。

新方遺跡の人骨は、縄文人の子孫で、まだあまり弥生文化の影響を受けていない時期である為、縄文人の特徴を多く残している。
遺骨から見つかった石鏃は、死因となったものであり、各地で多発し始めたクニ(国)とクニとの争いの犠牲者と考える。
うつ伏せの埋葬は、その遺体が丁重に埋葬されたのではないことを示唆しており、殺害後、乱暴に埋葬されたと考える。

【まとめ】
実際にまとめてみると、当初思っていたよりも、違いの無い結果となったような気がします。
どちらの説にしてみても、縄文人的な特徴を持つ人達がいても、全くおかしくはないので、そのような人骨が発見されたということで、どちらかの説を裏付ける証拠とは言い切れないように思います。

著者の片山氏には、この人骨の発見が、変容説の裏づけのきっかけになると期待しているようですが、今のところ期待以上のものは無さそうです。

出土している人骨の数が、あまりにも少ないので当然のことなのですが、人骨からこれらの説の裏づけをとるには、かなりの数が、多くの地域から出土しないと難しいようにも思います。
今のところ、それが期待できる様子はないようなので、異なる資料、異なる角度から検討する必要があるでしょう。
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