地名の由来を縄文語(アイヌ語)で考える「平潟(北茨城市)」D・・・状況証拠の積み重ね?
2009-04-12


『縄文語の発掘』(鈴木 健著)のごく一部、北茨城市の平潟(ひらかた)という地名の由来について、簡単に説明してきました。

この文献では、同じようにアイヌ語を縄文語と見立てて、全国各地の多くの地名を読み解いています。
時には、「古事記」「日本書紀」「風土記」や「和名類聚抄」など、古い文献を用いて、かなり幅広く、且つ深く掘り下げて推論しています。

しかし、推論であって、それ以上ではないという感じがします。
否定的に捉えている訳ではありません。
むしろ、よくここまで調べたものだと、感心するところも多くあります。

私自身、「地名」というものを深く考えたことはありませんでしが、何かで見聞きした話においても、地名の由来を「漢字の意味」で捉えることが当たり前になっていたように思います。

もちろん、漢字の意味から付けられた地名というのも、全国にはたくさんあると思います。
しかし、地名の付いていない所や、地名の分からないところを、誰かに知らせるときにどのように話をするでしょうか?
ある程度、年齢を重ねてくると知識や理屈が先行してしまい、なかなか発想しづらいかもしれませんが、子供の頃を思い出して見ると、何となく見えてくるような気がします。
地形など、見たままの形や大きさ、見た目の感想など、何気ない言葉を使って話すのではないでしょうか。

例えば、他には無いくらい大きな岩があれば「大岩のところ」とか、そんな発想ではないでしょうか。
(しかし、それを日本語(漢字文化)で考えてしまうと、また少し意味が違うものになってしまうような気がします。うまく説明できませんが、漢字の意味で考えるという、当たり前の発想が、このことの理解を妨げている気がしてきました。これは、またの機会に・・・。)

先ほど、推論にすぎないと書きましたが、縄文語の文献という物的証拠が存在しない以上、それはやむを得ないでしょう。
しかし、鈴木氏は、いろいろな角度から”状況証拠”を数多く積み重ね、結論を出しているように思えます。

事件に例えるなら、これだけ状況証拠を揃えれば、逮捕状も取れるし、起訴もできる、裁判で有罪となることも可能なのではないでしょうか。


最後に、このような考え方は、「(言語)学者」と名のつく方達には、受け入れがたい発想のように思えます。個人的には、とても気に入っているのですが・・・。
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