長浜氏は、この本の中で、渡来人の存在を否定しています。ここで言う”渡来人”とは、水稲農耕を日本列島へ持ち込み、縄文時代から弥生時代への大変革を行った人たちの事を言います。
以下、本書での長浜氏の考えをまとめてみます。
【陸稲の伝来時期とルート】
縄文前期(6千〜5千年前)の遺跡から、プラントオパールによる稲の痕跡が見つかっていることから、約6千年前には日本列島へ稲(陸稲)が伝来していた。
朝鮮半島での稲の検出は、約3千年前なので、それよりも早くから日本列島では、稲作が行われていた。よって、朝鮮半島からの伝来ではない。
【水稲の伝来ルート】
水稲在来品種のSSR多型(遺伝子特定領域の遺伝子配列の変形版)を調べると、日本列島に隈なく広がっている「b変形版」が、朝鮮半島には存在しないので、朝鮮半島からの伝来ではない。
「a変形版」については可能性はあるが、「b変形版」は大陸から、「a変形版」は朝鮮半島から、という根拠が無い。
以上、だいぶ簡単にまとめましたが、「朝鮮半島から稲が持ち込まれた証拠は無い」ということで、またそれが、朝鮮半島からの渡来人を否定する根拠の一つでもあります。
また、長浜氏は朝鮮半島からの「稲作を携えた渡来人」を否定しているため、「縄文時代の人たちが何千年も栽培してきた陸稲に、水田稲作の要素を少しずつ加えていった」と述べています。
さて、どうでしょう?
この辺の見解については、半分は理解できるのですが、半分は、別の要素があるのではないか、と思っています。
農耕具の出土に関して、朝鮮半島由来と考えられるものがいくつもあると聞いています。(『弥生文化の成立』より)
すると、水田稲作の全てを縄文人が開発した訳では無さそうです。
水田稲作の基本的な形は、縄文人によって開発されていたとしても、朝鮮半島からもたらされた物(事)により、水田稲作が全国的に広まるきっかけになった、という可能性はありそうです。
この辺りの事は、今後の課題ですね。
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