そもそも「渡来人」という考え方が間違い!?
2010-07-06


 縄文時代から弥生時代への移り変わりにおいて、水田稲作が日本列島へ広まることにより、さまざまな変革が起きたと考えるのは間違いではないでしょう。
 これまでの、さまざまな研究では、必ずといってよい程「渡来人」の存在があり、”渡来人が水田稲作を持ち込んだ”ということが前提にありました。
 全ては人骨の形態の違いによる「縄文人」と「渡来系弥生人」などといった区別に始まるのではないでしょうか。
 渡来人の人数云々はともかくとして、”渡来人が来た”ということから抜け出せていない以上、必ずこの両者を区別した上で何事も考えることになります。

 例えば、DNAの研究における『日本人になった祖先たち』(篠田謙一:NHKブックス)では、ミトコンドリアDNAのハプログループ頻度を比較するのに、「本土日本人」「関東縄文人」「渡来系弥生人」の三者を比較しています。
 ここでいう「渡来系弥生人」とは、人骨の形質によって区別した結果であり、もしも渡来人という存在が無いに等しかったとしたら、その区別はあまり意味が無いものになります。
 この三者のミトコンドリアDNAの比較結果において、篠田氏は、縄文人と渡来系弥生人の混血を支持していると述べると共に、北部九州(渡来系弥生人)と、関東以北(関東縄文人)の地理的な隔離による偏りを反映した結果という解釈もしています。
 すなわち、渡来人による混血をしているようにも見えるが、混血を考えずに、ただの地域差と見ることもできるということです。
 「渡来人」という存在が前提となっている故の、どっちつかずの結論です。
 いっその事、「渡来人」の存在を否定すれば、地域差の問題として考える事ができ、「関東縄文人」→「渡来系弥生人」→「本土日本人」は、連続したものとして見る事ができそうです。

 DNA研究は、人骨の形態に縛られること無く、むしろ人骨の形態による研究結果を否定するくらいつもりで行ってもらわないと意味が無いような気がするのですが、篠田氏においても、少なからず影響されており、結果として曖昧な結論を導いているように思えます。

 「渡来人は(絶対に)来た」という前提は捨て去り、「渡来人は少しは来たかもしれないが、来なかったかもしれない」と、考えを変えるだけで、研究内容に対する解釈が変わり、結果として結論が変わってくる、または少なくとも、曖昧な結論ではなくなる、そんな気がするのは私だけでしょうか?
[日本人の起源]

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