『稲作の起源』(池橋 宏:講談社選書メチエ)
2010-07-15


 水田稲作を、だれが、どのようにして日本列島へ持ち込んだのか、それが日本人のルーツとも関わりが深いのではないかという、かつてからの疑問から、”稲作そのもの”について知りたいと思い、読み始めたのが『稲作の起源』(池橋 宏:講談社選書メチエ)です。

 一応、読み終えたのですが、何か疑問を解決する糸口が掴めたかと言えば、その逆で、更に謎が増したという印象です。
 かといって本書の内容に問題があるのかといえば、そうではなく、逆にきちんとしていると思えるところが多い為、これまで想定していた事を、あらためて検証し直さないといけない、そんな気にさせるのです。

 本書において池橋氏は、「縄文農耕」を否定しています。
 これまでの私の知識では、「最近になって、段々と縄文農耕が行われていた事が分かってきた。」といった内容だったので、逆行させられた気分です。
 しかし、池橋氏の考えには説得力があり、私としては迷うところでもあります。
 池橋氏の説得力があるところは、”農耕をする立場で考えている”というところです。

 これまで私が得てきたものでは、イネの痕跡(と思われるもの)や、イネのプラント・オパール(と思われるもの)といった、遺物の発見により、農耕が行われていたと”想定”しているもので、実際に”農耕ができる環境”であったのかどうかは、考えられていなかったようです。

 池橋氏は、農耕ができる環境であったかどうかについて、土壌の問題、雑草の駆除に対する労力や、結果として、農耕という労働に見合うだけの収穫が得られるのかどうかを考察し、近代の世界中の農業革命なども考慮しつつ、不可能と考えているのです。

 すると、水田稲作を始める前、縄文人は陸稲を焼畑などにより収穫していたという説は、基本的に成り立たなくなります。
 更に、陸稲の栽培から、水稲農耕への移行も否定していますので、「縄文人が水田稲作を開発した」というのもあり得ません。
 結論だけになってしまいましたが、私なりに理解、納得できる内容なので、やはり水田稲作は、「イネと共に水田稲作として、どこかからやってきた。」ということになりそうです。

 ある意味、振り出しに戻った感じがしないでもないのですが、どのような説が正しいのかは、関連することに、ある程度深く知ることによって、判断するしかありません。

 ちなみに、本書を書いた池橋氏ですが、本書の後に『稲作渡来民−「日本人」成立の謎に迫る』(講談社選書メチエ)を執筆しています。
 実は、私は『稲作渡来民』の方を、以前、読んでいたので、順序が逆のような気もしますが、かえってその方が良かった気がします。
 池橋氏いわく、『稲作の起源』で書き残してしまったと感じた事が『稲作渡来民』の執筆の動機との事です。
 専門分野外の多くの文献を参照することで、一定の結論を導いているものの、大いに疑問を感じる文献をいくつか参照しているようなので、その評価は難しいところです。
(『稲作渡来民』を読んでいる時には、こうは思わなかったのですが、今あらためて、内容をざっと眺めてみると、違った見かたができるものです。)

 最後に、日本人のルーツや稲作の起源、渡来民などとは直接関係ないのですが、「水田稲作とは、実に良く出来た、すばらしい農耕なんだ」と、思わずにはいられません。
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