ピジン語とクレオール語−弥生人と日本語の形成−日本語南方系縄文人語起源説−(藤井游惟氏)より
2011-07-11


 レジュメということもあり、細かい部分は省略されているであろうということは承知しているつもりですが、核心的な部分が抜けているようにも見えるので、恐縮ながら、私の知る限りの補足をしてみたいと思います。

【ピジン語は不完全な言語】
 異言語間の意思疎通の為の混成語であるのには違いが無いと思いますが、ただ単語を並べただけのような言語であることが多く、規則的な文法が無い、言わば不完全な言語といえるのではないでしょうか。

【クレオール語は新たに生み出された言語】
 クレオール語は、ピジン語を話す社会で育った子供達が、ピジン語を元にしてはいるが、言語として不完全であった部分を新たに生み出し、完全な言語として成立した言語と言えるのではないでしょうか。
 ここで重要なのは、ピジン語では不完全な言語であるがゆえ、表現できなかったことも表現できるようになる、というところでしょう。
 不完全な言語が、完全な言語へと変化する理由については、スティーブン・ピンカーによる「言語生得説」が背景にあるのですが、詳細については『言語を生みだす本能(上・下巻)』を読んでいただくのが良いでしょう。

 藤井氏も、クレオール語が完全な言語である点には触れているのですが、その理由が不明瞭で、他の記述からは、ピジン語が定着して世代を重ねると、それがクレオール語であると言っているように見えてしまいます。
 また、「耳コピで模倣」という表現が、単なる模倣ではないと思っている私には、違和感を感じるのです。

【社会的な現象ではあるが重要なのは脳の発達過程】
 ピジン語やクレオール語に限らず、言語の変化は社会的な現象ともいえるのでしょうが、それを捉える人によって結果は異なってくるようです。
 言語的に十分発達している成人にとっては困難な事も、言語発育段階の幼少期の子供達なら、ただ言語を習得するのではなく、生み出すことが可能であるという、脳の発達過程の問題なのでしょう。

【言語の変化を見る目が変わった】
 言語の習得が、単なる学習ではなく、ある意味本能的なものであり、脳の発達過程が重要であるとわかってくると、日本語を含む言語の変化という現象を見る目が変わりました。
 今はまだ、うまく説明できないのですが、これまでこのブログで書いてきた言語、特に日本語の起源に関する記述を、根本的に見直さないといけないような気さえするのです。

【東北方言はクレオール日本語?】
 またの機会にするつもりだったのですが、一言だけ。
 私のクレオール語に対する解釈は「狭い」ようなので、東北方言がクレオールと言えるような気はしませんが、「広く」解釈すれば、そう言えなくも無いのかもしれません。ただ、あまり広げすぎると何でもクレオールになってしまいそうな気もします。
 東北方言には、異なる言語の影響がある、ということは言えそうなので検討する価値はあるでしょう。ただ、現状からすると、関東と関西の違いも同じように見ることができそうなので、キリがないかもしれません。

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